稚竹幼稚園の沿革
稚竹幼稚園は1955年9月20日に吉田日出男によって創立されました。
吉田は島根県安来(やすぎ)にある吉田八幡宮という、先祖は後鳥羽上皇(第82代天皇)に従えていた宮司の家に生まれました。
東洋大学に在学中、宮司の兄が亡くなった吉田は、勉学の傍ら宮司になる為の修行にも取り組みました。
卒業後、高校教師の仕事についた吉田は、幼児教育の必要性を感じ、教え子の土地を借りて幼稚園を開いたことがはじまりです。
吉田八幡宮の隣には大きく立派な竹林があったことから、稚(わか)い竹のようにすくすくと育って欲しいという思いで稚竹幼稚園と名付けました。
2010年、東京都清瀬市にある清瀬富士見幼稚園の元園長であり、元清瀬市市長である澁谷金太郎によって学校法人化しました。
子ども達に日々向き合いながら、大学の講師や教育番組の監修委員などを務める等、学術的な研究視点を携えつつ幼児教育に邁進してきました。
多角的な教育経験を活かし、より良い教育機関を目指して現在に至ります。
現在の卒園児数は8088名(2022年3月31日時点)、地域に根付いた幼稚園として、創設者をはじめとした様々な教育者が託す理念を大切にしながら、園児一人ひとりに向き合った保育を志しております。
教育理念 『たんぽぽ魂』
踏みにじられても 食いちぎられても
死にもしない 枯れもしない その根強さ
そしてつねに 太陽に向かって咲く その明るさ
私はそれを 私の魂とする
子どもも大人も、全ての人が自分の人生を豊かな実りあるものにしていく 可能性、潜在的な力をもっています。要はいかにその可能性の扉を開き、力を引き出していくかです。 その扉を開く鍵は何かといえば「認められる」ことにあります。
「認められる」ということは、子どもも大人も心地良いものです。 人は、まるごと無条件に受け止められることで、意欲や、勇気や、優しさが湧いてきます。また、「認められる」ということは、好かれる、愛される、ということでもあります。一人ひとりの子どもたちを可能な限り、私達大人がしっかり受け止めてあげたいのです。
では、最も重要で、且つすぐに出来る受け止め方は何かといえば、
それは「あいさつ」です。当たり前のことですが、意外と出来ていないのです。
「おはようございます。」ということは、「私はあなたが好きです。今日も楽しい一日にしましょう。」
と呼び掛けていることだと思います。
園で「おはようございます。」「こんにちは。」ということは、
「○○ちゃん、大好きだよ!」と言っていることになります。子どもたちは、自分が先生達から愛されている
と実感することで安心し、自信をもち、元気になります。
意欲が湧き、好奇心が活発になり、子どもたちが本来持っている、伸びようとする力が着実に働いてきます。
人間は願いが叶う動物といいます。願いを叶えるためには、
”好き”、”信じる”、”ありがとう”、”出来ると思う”など、肯定的、建設的なプラス思考、感情が必要だといわれています。
あいさつは、躾、道徳といった理由によるものではなく、一人ひとりの子どもたちの存在を無条件に認め、好きだ、愛しているよ、といったメッセージを送ることなのです。
これらの繰り返しを通して、子どもたちに安心、自信、意欲などが生まれ、
本来もっている無限の可能性が、子どもたち自身の中から引き出されてくると考えるべきなのです。
そして、人は人間として生まれ、一生を終えるまで、様々な試練や挫折を体験します。そんな時、たくさんの愛をうけながら自ら育んだ心と体で、乗り越えることができます。
「たんぽぽ魂」の詩の中にある言葉のように、何があっても頑張る気持ちを心の真ん中に育てていきたいと願っています。
上記の教育への思いは、2022年2月14日に死去した第二の創始者である澁谷金太郎が書き綴ったものです。
ご冥福をお祈りするとともに、故人の教育理念への共感と敬意を教職員一同携えながら保育に取り組んでおります。
園内の様子
園舎や遊具には園のキャラクター「ぽぽちゃん」が至る所に描かれています。
光が入り気持ちよく風が抜ける中庭には、夏のプール遊びや、ピクニックをする子供たちの声が響きます。
設備など
門は登降園の時間以外は随時施錠、防犯カメラの各所設置など、防犯対策に心がけております。
また、連絡網や出欠席などの各種手続きはアプリを使用しております。
制服
シックなカラーの制服は完全オーダーメイド。速乾性が高いので自宅でも洗いやすい素材です。